
おおえきょうかい
大江教会
Oe Church 
DATA
建物名:大江教会
設計者:鉄川与助
所在地:熊本県天草市天草町大江1782
用途:教会
構造:鉄筋コンクリート造
竣工:1933(昭和8)年
備考:内部撮影禁止
交通:車=
- 国道3号線>宇土市>国道57号線>三角町>(A)
- 九州自動車道の松島ICで降りる>国道218号線>県道181号線>松島町>国道266号線>三角町>(A)
- (A)>国道266号線>松島町>国道324号線>本渡市>国道266号線>(B)
- (B)>天草下島横断道路>県道24号線>国道389号線(道幅狭し、注意)>天草町>大江教会
- (B)>そのまま南下>河浦町>国道389号線>天草町>大江教会
この日のお昼頃に熊本市に着き、
手取天主堂(1928)を見て感銘を受けた私は、市内のアートポリス巡りの予定を変更して天草に向かいました。その時までは天草行きは別の日にと考えていたのですが、手取天主堂を見て気持ちが高まったので急遽、天草に行こうと思い立ったのです。かの地には
鉄川与助が設計したふたつの教会、大江天主堂と
崎津天主堂があります
※1。
しかし天草は遠かった…。手前の三角(みすみ)港までは行ったことがあるのですがそこから橋を渡った先には行ったことがなかったものですから、まさか天草があんなに大きな島々だとは思いませんでしたよ※2。日が短かい時期のせいもあって大江天主堂に着いた時にはもう暮れかけていました。
というわけで、かろうじて撮影できたもののかなり暗い画像になってしまいました。大江天主堂近くの崎津天主堂は実は後日に再訪しての撮影で、この時は牛深市の建築巡りを優先したので大江天主堂には行っていないのです。この教会の外観は真っ白なのにその姿をご紹介できなくてすみません。私も本来の姿を見られなかったことは心残りです。
※1:昔は教会は天主堂と呼ばれており、当時の名残で今でも特にカトリック系教会をそのように表現することがあります。どうも九州の初期教会建築にはその傾向が強いようです。そこでこのページではデータとしては正式名称である教会、文中では天主堂と表記することにします。他サイトの情報を探す際は大江教会、大江天主堂の両方で検索した方がいいでしょう。
※2:天草に建築巡りに行くなら午前中に三角港を通過しておくべきでしょう。ちなみに天草最深部の牛深市まで熊本市から車で3時間、福岡市からは途中まで高速道路を通っても5時間かかります。天草は本当に奥深いところです。
01 熊本県の天草地方は長崎県と共に隠れキリシタンの土地として知られています。キリスト教が禁教であった江戸時代※3、彼らは弾圧を受けながらも信仰を貫きました。大江天主堂は、フランスから赴任して50年を過ごし遂にこの地で没したガルニエ神父の強い熱意によって実現しました。
02 大江天主堂のある地は山道と海岸線を延々と走り続けた末にようやくたどり着くという天草の片隅です。そこの小さな集落からややはずれて海岸から3kmほど奥まった丘に、しかし凛とした様子で大江天主堂は建っています。海辺の
崎津天主堂に対して車で十数分程度と近い場所にありながら立地条件は対照的です。
※3:正確にはキリスト教が解禁となったのは1873(明治6)年で、明治初期にも迫害はあったし、解禁後もしばらくは差別や混乱があったという。
03,04 様式はロマネスクで構造は鉄筋コンクリート造(RC)。鉄川与助は
手取天主堂からRCを採用し始めており、大江天主堂はその3作目になります。手取よりも装飾がそぎ落とされてシンプルなデザインである上に白い外壁色のためもあってか、けっこうモダニズムっぽい印象を受けます。
まだ実績の少ない構造形式で交通の便の悪い場所という困難な条件ながら、きっちり施工監理して責任を果たした彼の仕事ぶりには本当に頭が下がります。
※4:注意! ここは信仰の場ですので見学の際は十分な配慮をお願いします。内部撮影は禁止されています。
※5:参考文献や関連サイトによって情報にはいくつかの相違があります。このページの内容は私が各種の情報を総合的に判断してまとめたものです。
参考文献:
- 「建築グルメマップ2 九州・沖縄を歩こう!」314・347頁(宮本和義+建築知識編集部、エクスナレッジ)
- 「九州キリシタン新風土記」(濱名志松、葦書房)
- 「街道をゆく17 島原・天草の諸道」(司馬遼太郎、朝日文庫、朝日新聞社)
- 「週刊日本の街道67 島原街道と天草路」(講談社)
- 「別冊太陽 日本の教会をたずねて」(平凡社)
関連サイト:
最終更新日:2004年12月5日
作成日:2002年12月30日
撮影時期:2002年11月
作成者:タケ(旧名 tks )(
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